院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


台風とパパイヤの木

 

ざわざわと木々が何ものかに憑かれたように踊り狂い、時折風の音がごーっと低いうなりを上げる。これ程までに速く流れるものだろうか?と思うくらいの速度で、雲が南の空めがけて飛んでいく。台風9号の影響で、外来患者の出足が鈍い。

私は小さい頃から台風が好きであった。強い雨が雨戸をたたく音や、風のうなり、木々のざわめきもさることながら、停電になった時、ろうそくの灯りに寄り添う家族の佇まいが好きであった。台風で停電になった夜に限って、私はたまらなく授業の予習や復習がしたくなり、懐中電灯を天井からぶら下げると、その揺れる明かりの下で時々くつくつと笑いながら教科書をひろげていた。

 台風のもう一つの楽しみは(実はこれが最も私の心を浮き立たせるものであったが)台風の去った後、近所を散策することであった。すっかり葉をなくした木々や太い枝が折れてしまったガジュマル。看板が落ちていたり。とんでもないところに自転車が引っかかっていたり。電柱が倒れていたり、電線が切れて、電力会社の作業員が慌ただしく働いていたり。いつもと違った風景が雨上がりの新鮮な空気の中、眺めるだけで楽しくて、いつまでも歩き続けた。特に私の興味を引きつけたのは、自宅から少し離れた場所にある一軒の家であった。その家は当時としても珍しいバラック造りのあばら屋で、夜になると錆びたトタン屋根とベニヤ合板の壁の隙間から漏れ出す裸電球の明かりが、その家を周りの暗闇から仄かに浮かび上がらせているのだった。まるでレンブラントの絵のように。家路に向かう蒸し暑い夜、ぶっそうげの赤い花が、その家から漏れ出す寂しげな光に思いのほか明るく照らし出され、ついうっとりと立ち止まり、去りがたい衝動にかられたのを思い出す。その愛すべき家は、台風が通り過ぎると必ずどこか壊れているのだった。

 その家には私と同じ小学校へ通っている一つ年上の男の子がいた。彼の上唇には兎唇の手術痕があり、聞き取りにくいしゃべり方をした。とくに親しい訳でもなく、普段くちをきくことも滅多にないのだが、学校で気づかぬふりをして通り過ぎようとすると、「えーひゃー、しらんちゅさんけー(おいおい、しらん顔すんなよ)」と言って私を驚かした。かといってその次にこちらから話しかけても、「ふん。」と彼独特の鼻音と冷たい一瞥で、無視されるのが常だった。そんな彼の態度は私を狼狽させるには十分であったが、すれ違いざま彼がつま先立ちで歩くのを、私は少年の無邪気な残忍さで見逃さなかった。私の方が年は下だが、背が高かったのである。

 大きな台風が過ぎた翌朝、その家の前を通ると、家屋は半壊状態で、彼の父親がベニヤ合板や板きれを壊れた壁につぎはぎを当てるように打ち付けているところだった。母親と姉はぼそぼそと言葉を交わしながら、散乱した衣類や日用品をかき集めていた。彼は庭の隅にある一本のパパイヤの木の近くで、膝を抱えてしゃがみ込んでいた。通り過ぎる私と目を合わさないように、黄色く実ったパパイヤの実を見つめていた。不思議なことにその家のパパイヤの木だけはどんな台風でも倒れなかった。しなやかで力強く、凛としてすがすがしく、台風一過の青い空によく映えた。

「あの家また壊れていたよ。屋根が飛んで、壁もバラバラ。」

家に入るや否や大きな声で叫ぶ。

「えーほんとに? 見てくる!」

姉二人がはしゃぐように飛び出していった。

母は「そう。」と言ったきり黙ってしまった。父はゴホッと咳をして寝返りを打った。私は自分が何だかとても悪いことをしたような気持ちになり、台風の後はもうあの家の前は通らないぞと思う。二、三日もするとその家は何事もなかったかのようにもとの佇まいのまま、もとの場所にひっそりと建っていた。それが私をほっとさせ、次の台風の時も翌日の朝一番にその家に向かうのだった。

「先生、患者さんがお待ちですよ。」

看護婦の声で我に返る。患者を呼ぶインターホンのスイッチを押そうとしてふと思う。

彼は今どうしているだろうか? 後ろめたい感情を伴いながらも生き生きと蘇る記憶の糸を紡ぎながら、私の心には悲しいまでに青い台風一過の空が広がり、あのパパイヤの木が涼やかに揺れていた。


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